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オードリー若林の父親は昔フォークソングの歌手だった!
オードリー若林正恭さんのお父さんは若い頃にフォークソング歌手だった時がありました。
ドラマ「だが、情熱はある」で若林さんの実家が映るシーンでは1階の部屋にフォークギターが置いてあるのですが、それはかつてお父さんが弾いていたギターなのだと思われます。
また、若林さんのお父さんは生前自転車が趣味で自身のHPを持っていました。
そこには上下黒ジャージを着たブレブレ写真のお父さんが写っていて「黒豹」というタイトルがあったそうです。
若林家は一時期、お父さんとお母さんが中国に住んでいたことがあり、その時期にはお父さんが日本に住む友達向けに掲示板を作ったり日記を更新していたそうですが閲覧者はほとんどいなかったそうです(笑)
そんな中にも息子である若林さんに向けて綴られた日記もあったそうですが、タイトルは「就職しろ」だったそうです笑
そんなお父さんは若き日の大学時代、ちょっとしたラジオに出るくらいのカントリーミュージックの歌手だったそうです。
しかもギターボーカル。
正式にプロへのオファーもあったほどだというから驚きです。
いざプロを目指したお父さんでしたが、意外と伝えたいことがないことに気づきプロを目指すことをやめたそうです。
ある時若林さんの私服がなくなっている時があって、当時ニルヴァーナのグランジファッション(ネルシャツにジーパンみたいな)が流行っていたそうなのですが、実はその時お父さんが会社の新年会か何かで演奏を披露するために若林さんの私服を着たんだそうです(笑)
結構盛り上がったそうです(笑)
義兄を殴り母方の親戚から総スカンを食らったオードリー若林の父
若林さんのお父さんは若林さんの母方のご親戚とは仲が悪かったそうです。
というのも、ご両親が結婚する際に母方の親戚(義兄)から結婚を反対され、あろうことかお父さんは義兄をぶっ飛ばしてしまいました。
それ以来お父さんと母方の親戚は仲が悪くなってしまったとのこと。
時が経ち不穏な仲も和らいだ頃、お父さんがお母さんと一緒に母方の実家に向かう新幹線の道中にお母さんが
「昨日はエルビス・プレスリーが亡くなった日ね」
となんとなく伝えたところ、エルビスの大ファンだったお父さんは
「エルビスが亡くなった翌日に母方の実家になんて行っていられない」
と言って、名古屋で新幹線を降りて一人で東京に帰ってしまったそうです。
ちなみに若林さんのお母さんの実家は島根の山奥で、最寄りの駅から車で2時間もかかるようなとんでもない田舎なのだそうです。
30cmもあるオニヤンマが飛んでるのだとか。。
それでも人情味あふれるオードリー若林の父親
そんな破天荒な若林さんのお父さんですが、
生前はずっと阪神タイガースの大ファンで、中でも掛布選手のファンでした。
芸人になってからの若林さんはお父さんから勘当されていたそうですが、M-1で準優勝を果たした頃から少しずつ理解を示してくれていたようです。
M-1でオードリーがつけていた番号が掛布選手とバース選手の背番号を組み合わせた番号だったことからお父さんが喜んでいたというエピソードがありますが、それは単なる偶然だったそうです。
なんだか人情味あふれる面白いお父さんですよね(笑)
趣味の自転車にかける鍵の番号もその番号だったため、このエピソードが広まったことをきっかけに自転車が盗まれたというオチも(笑)
今回はオードリー若林さんのお父さんの面白エピソード紹介でした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。